
初めまして。
整体師の矢島 錬と申します。
整体サロン リーン REenのホームページをご覧いただきありがとうございます。
氏名:矢島 錬(やじま れん)
生年月日:1987年1月27日
趣味:映画鑑賞・美術鑑賞・音楽鑑賞・観葉植物・料理・漫画
既婚 1児(女の子)の父
子供と過ごす時間が今1番幸せです。
わたしは整体が好きです。
整体と出会えたからこそ今の人生があります。
整体を通じて素敵な人達とも出会えました。
みなさまが笑顔になっていただけることに幸せを感じます。
頭蓋骨や関節や筋肉を調整する行為自体が好きです。
テクニックだけではなく思いやりや人間性も必要なことだと考えています。
整体=自分自身
必要なことはたくさんありますが、だからこそやりがいを感じます。
出し惜しみはいたしません。
出来る限りのことをやらせていただきます。
ご縁を大切にみなさまが元気になれるようなお手伝いができれば幸いです。
【開業に至るまでのおはなし】
整体という道でこれからもずっとやっていこうと思った経緯や整体に対する思いなど
~家のおはなし~
うちの母はいわゆる教育ママだった。
今では感謝しているが小さい頃の僕は少し…結構苦労していたと思う。
体操、英語、お絵描き、合気道、プール、塾などたくさん習い事もさせてもらった。
中学も私立の学校に受験をさせてくれた。
家では過干渉気味で常に親の目を気にしていた。
自分で言うのもなんだが僕は結構良い子ちゃんなので期待に応えようと一生懸命だった。
受験が終わり志望していた学校に入学することができた。
でも、そこまででプツンとなにかが切れてしまい中学入学と同時くらいから激しい反抗期が始まった。
家にいる時は常に不機嫌、常につきまとう倦怠感、眠気。
授業の時は居眠りばかり。
成績も悪く家で怒られ余計にやる気を無くす。
やりたいことも特に見つからない。
何もやりたくない。
部活は友達に誘われてバスケ部に入部した。
毎日ドリブル練習 校内のランニング
面白くない…
この時不幸にもスラムダンクをまだ読んでいなかった。
読んでいればまだ頑張れていたと思う。
部活をやめますと顧問の先生に伝えた時
「バスケの面白さを伝えられなくてゴメンな」
と言われたことは今でも覚えている。
先生、今ではバスケの面白さがわかりますよ。
わかろうとしなくてごめんなさい。
その後はまた友達に誘われるがままテニス部へ移った。
テニスには夢中になれた。
下手くそだったがそこから約9年位頑張ってやり切ることができた。
たぶんこのテニスが人生で初めて自分の意志で頑張ってやっていこうと思ったことだ。
~大学時代~
学部は法学部
やりたいことはまだはっきりしていなかった。
なんとなく警察とか検察とか弁護士とか公務員とかかなーと考えていた。
1つはっきりしていることはテニスを頑張ろうと思っていたことだ。
このときの経験は自分の根っこの部分だ。
目標に向かってみんなで頑張ったこと、集団生活の難しさ、OBや先輩方との関わり、後輩への指導
大変なことも多かったが大切な思い出だ。
苦しくも楽しい4年間だった。
大学時代は体の痛みに悩まされていた。
これは今考えるとオーバーワークのせいだ。
筋肉至上主義とまではいかなかったがコート上で練習できない時間はなるべく筋肉をつけるために費やそうと考えていた。
稚拙な考え方と非効率的なやり方だったが自分のできる限りの中で頑張っていたと思う。
トレーニング理論や栄養学などの勉強も行った。
実はこの頃もまだ反抗期は抜けていなかった。
後輩ができてからは上手く関係性を築けないこともあり思い悩んだ。
プレーもなかなか上達しない。
たくさん泣いた。
メンタルも不安定でとてもネガティブだった。
むしゃくしゃした気持ちを筋トレすることで逃避していた。
たぶんテニスを続けられた一つの理由は逃避だった。
学生時代はテニスに明け暮れていたがついに就活の時期がやってきた。
やばい、やりたいことが見つからない。
なんとなく企業研究や面接に行ったりもした。
テニスコーチとかテニスショップの店員なんかも良いなとも思っていた。
そんな中整体サロンを運営している会社に巡り合った。
テニス部ではトレーニング担当としてサポートしたりマッサージをすることもあった。
当時はあまり自覚がなかったが僕は人のためになにかすることが好きなんだと思う。
将来的にはスポーツトレーナーもできるという話だったのでOBとして部活に関わっていきたいとも思いそこに入社することにした。
~初めての整体~
整体の業界に入ったものの右も左もわからない。
やる気だけはあったから超早期組として会社全体の研修をスッポ抜かして店舗での実地研修からのスタートだった。
最初はタオルたたみや掃除をひたすら行っていた。
ストレッチは心得が少しあったので店舗で練習、店長にチェックしていただいて実際に行ったりすることもあった。
技術や接客も直接先輩方に教えていただき店舗内だけの環境である程度できるところまでご指導いただけた。
そのおかげで会社全体の研修にはほとんど顔を出すことがなかった。
少し優越感。
ただ同期との交流がほとんど無かった。
励まし合う仲間がもう少しいたら違ったのかな?
実際施術の現場に入るようになり来る日も来る日も施術を行うようになった。
朝から晩まで営業 開店前と閉店後に練習
お客から直接感謝の言葉をいただけて満たされる部分はあったが毎日クタクタだ。
社内でトレーナーに向けてのチームも作られたがそれが開催されるのも閉店後か休日返上しての参加。
それに参加する余力は残っていなかった。
いつしか施術がある程度できるようになっていた。
毎日「肩が」と言われれば首の調整と肩をもみほぐし、「腰が痛い」と言われれば骨盤を調整して腰をもみほぐし
言われたことをそのままやる毎日
…違和感
技術向上の手段が見つけられない
…違和感
自分の理想と現実との乖離
…違和感
やりようはいくらでもあったが未熟が故に上手く解消できなかった。
それでも3年は頑張ろうと思っていたが限界が先に来て退社を選択した。
~初めての転職~
次はいわゆるふつーの仕事をしよう。
将来的に結婚もしたいしね。
ということで自分の経歴でも行けそうなところに片っ端から転職チャレンジ
その時見つけたた外食産業向け業務用食器の営業職。
家が美術一家もあったのでお皿には少し興味を持てた。
面接では気に入ってもらえて
「選考には関係ないけどこのあといっぱいどう?」
とお声がけをいただいた。
行くしかないでしょう。
お酒をご一緒してその後はカラオケへ
僕は昔から音楽と言ったら洋楽でロックやパンクだからみんなが知らない曲が多い。
カラオケは少し苦手だ。
何を歌おうか…
最初は当時流行りの無難な曲を歌っていたと思う。
せっかくだし1曲ぶっこむか。
マキシマムザホルモン「包丁ハサミカッターナイフドスキリ」だ。
シャウトとヘッドバンド!!
30歳くらい年上の方だったが大ウケだった(笑)
そんなこんなで無事入社したのである。
ここでの経験でやっと社会人としての自覚を得ることができた。
嘘実 折衝 数字 在庫 ビジネスマナー
独立しようと思えたのはここでの経験も一つ財産として蓄えられたからだ。
思い出深いことは某洋麺屋の担当の方にとても親切にしてもらえたことだ。
社内では評判があまり良くなかった方だったので最初は警戒していた。
他人の言うことも案外あてにならない。
面倒見の良い方だった。
結構かわいがっていただけた。
色んなご指導もしていただけた。
この方と出会えたから大きく成長できたと思う。
無理難題も多かったし嫌になったこともあったがとても感謝している。
「お互い大変だな」
「たまに車で中央分離帯につこみたくなる(笑)」
なんてお話もしてくれた。
あー自分だけでなくみんな大変なんだな。
この人でも苦労することがたくさんあるんだなと思った。
もう少し頑張ろうと思えた。
社会にはFu◯◯な人間がこんなにも多ことがわかったのもこの会社でのことだ。
挨拶すらできないオツボネさん
自分のことしか考えていない先輩
酒癖サイアクな上司
すぐにキレ散らかす客
もちろんこちらが未熟で気分を害されてしまった結果もあったとは思う。
それでもあの態度は無かったと思う。
ここでは一応3年頑張った。
心身をすり減らした。
寝ることが憂鬱だった。
明日がくることが憂鬱だった。
朝がとても憂鬱だった。
毎日酒タバコ栄養ドリンク。
休日は何もやる気が起きなくて寝て過ごす。
うつ状態だったと思う。
退職が決まった日に街の色が戻ってきてびっくりした。
世界はこんなにも鮮やかだったんだ。
さて次はどうしようか。
~2度めの転職~
今度は自宅から自転車で10分くらいにある会社に入社できた。
マラソンの記録計測をメインに大会運営補助も併せてするような会社だ。
この頃は疲れ切っていた。
正直言うと入社動機は楽そうだったからである。
給料も良かった。
業務も冬場は大変だったが夏場は仕事がほとんどなく営業がメインで定時帰りの日も多かった。
のんびり過ごせる日も多く元気も大分戻ってきてやる気も湧いてきた。
もう一度頑張ってみようと思った。
この会社は社長と副社長が絶対的パワーを持っていた。
上手くコミュニケーションが取れずに歯がゆかった。
リクエストにも上手に応えられず段々と居心地が悪くなってしまった。
上手に応えられない自分にも嫌気が指した。
このままじゃだめだよな。
この先人生どうしよう。
頑張んなくちゃな。
そんな時整体時代にお世話になった方と再開する事になった。
整体をやっていた頃の店長の結婚式に呼ばれた会場にその方がいらっしゃた。
昔話から今何やっているかの話。
よかったら戻って来ないかと声をかけられた。
辞めてからも整体師として過ごした日々を忘れたことはなかった。
お客さんや社内の人に整体もどきを行ったりすることもあった。
楽しかったな。
周りの人も良い人ばかりだったな。
あーしてみたりこーしてみたりすればよかったな。
なんてよく思っていた。
そんな思いがあったのでもう一度整体師として一生懸命頑張ってみようと思い戻ることを決断した。
~2度めの整体師人生~
この時はまだ開業が頭の中にはなかった。
素敵な人達に囲まれて頑張ろうくらいの気持ちだった。
実際素敵な人に囲まれた時間を過ごすことができた。
ただまただ。
またあの壁にぶつかった。
クライアントの方に言われたことしかやっていない。
技術向上の手段が見つけられない。
自分の理想と現実との乖離。
今度は自分で色々模索しよう。
たくさんの参考書を集め
たくさんの教材を手にいれて
たくさん試行錯誤した
失敗もたくさんした。
でもそのおかげで進むべき道を見つけられた。
詳細は省きますがこの頃実は人生においてとても大変な時期でもありました。
毎月が落胆の日々で人生どん底に感じてしまっていました。
メンタルも不安定 体調ももちろんダメ 当然仕事も上手くいかない。
何もかもが上手く噛み合わずに消えてしまいたいと何度思ったことか。
このこと
習い事や受験勉強で大変な子
仕事で頑張りつつも心身すり減らして戦っている方
そんな経験をされている方々に
もちろんお手伝いできることできないことはあるのですが
自分の整体でなにかお役に立ちたいと強く思っています。
身体が変われば心も変わります。
整体を通していろんなことが少しでも楽になっていただけると嬉しく思います。
~こども誕生 師匠との出会い~
こどもの誕生から人生が大きく変わった。
物事をポジティブに捉えられるようになった。
生活も一変して生まれ変わったような気分だった。
いろんなことが落ち着いてきたので気になっていた整体師に会いに行くことにした。
ちゃんとした人に師事してちゃんとした技術を学ぼう。
今でも覚えている。
知る人ぞ知る方でなかなか予約の電話が繋がらず何日かアタック。
最初は留守電にメッセージを入れたのだが緊張で手は震え声も上ずってしまった。
無事予約が取れ当日。
初めての場所は基本的に早めに到着して周りを見るのがいつものこと。
1時間位前につきましたかね。
まず場所の確認。
ここがあの噂の場所か!!
それからは少し離れて中が遠目でも見えないか見てみたり。
その辺をウロウロしてみたり。
ストーカーみたいです(笑)
時間にも遅れることなく到着ができていざ施術スタート
感動
それに尽きるひとときでした。
この時2つの質問をされました。
「開業したいのか?」
この時は技術の向上のためご指導いただきたい気持ちが一番だったので開業に関してはそこまで深く考えていませんでした。
それでも最終的にはそこを目指したい。
「開業したいです」
勇気を振り絞って答えました。
「いくら稼ぎたいんだ?」
「お金じゃないんです。人を楽にしたいだけなんです。」
格好つけて言いました。
「じゃあ開業しないほうが良いよ」と
厳しい口調で言われました。
あれこの方お金お金嫌ってたよな??
もちろん自分もそうなので意外な反応で驚きました。
その後開業することの大変さや覚悟などについてお話していただけました。
多分自分のことが見透かされていたんでしょうね。
相手に合わせてようとしてしまう性格 あまちゃんな性格 開業を甘く考えている 何においても覚悟が足りない
それでも、だからこそ、この方からいろんなことを学ばせていただき自分を変えたいと思い足繁く通うことにしました。
この方から学んだこと学んでいること。
技術だけではなく他のことも含め。
それがあったからこそ変われました。
自分のことが好きになれました。
開業への決心がつきました。
整体が大好きになりました。
~開業に至るまで~
僕は直近は妙蓮寺の店舗に在籍していました。
その前は綱島にいました。
会社のいろいろな判断から綱島を閉店させての人事移動でした。
綱島のお店は本当に愛着がありました。
店内ではかなり好き放題やれせていただき、植物をたくさんおいたり、自分のやりたい施術を少しやらせてもらったりしていました。
いまもお店が残っていればもしかしたら開業していなかったかもしれないぐらい居心地の良い場所でした。
そこをクローズする話になったときにあと1年でこの先どうするか覚悟を決めようと思いました。
その時は開業するか、整体を辞めて一般的な企業勤めになるかで迷っていました。
家庭もあるので非常に悩みました。
正直整体を続けるとなると、ましてや開業となると金銭的には厳しくなる。
休みも少ないので妻にも負担をかけるし、こどもに寂しい思いをさせてしまうとだろうと。
ただ、自分が元気で格好良い背中を見せることの方がそれより大切だと思い開業に踏み切りました。
僕は整体がとっても好きです。
技術はもちろんですが人間性を問われます。
常に自分を高める必要があると考えています。
親は錬という名前はねって強くなるという意味を込めてつけてくれました。
名は体を表すといいますが自己研鑽は好きです。
そういう意味でも整体は自分にぴったりな道だと思っています。
いざ開業に向けて準備を進めていこうとしたとき、なにわともあれ物件が無いと進められないと思い、最初はぼんやりとですが物件情報をあさりました。
物件を選ぶ際綱島は最初外していました。
元々いた場所。
火事場泥棒みたいな気がして除外していました。
日吉か元住吉 あるいは自宅近くの沿線をさがしていました。
出てくるのは古びた建物やアクセスの悪い物件だらけ。
ただ時間だけが過ぎていく日々でした。
格好つけてる場合でも無いなと思いどこかのタイミングでなんとなく綱島も一応見てみるかと思いぼんやり情報を集めるようになりました。
もちろんそこには綱島在住のクライアントさんを呼び込むという下心もありました。
そうするとそこからすぐに今の物件が飛び込んできました。
んー予算的にちょっと厳しいな…
でも希望の条件はほぼ揃ってるんだよな…
開業不安だからまだ先延ばしにしようかな…
なんて考えが巡りました。
とりあえず一度内見だけでもしてみようと思い連絡を入れたところトントン拍子に進んでしまいました。
内見第一印象で絶対決めようとは思っていたのですが…決められませんでした。
最高じゃんとは思ったものの
ものの配置やベッドの置き場などどうしよう…
ここより良い条件のところが出てくるかもしれない…
一度相談してみようと思いその時は保留にしてもらいました。
その時1番相談したい方がいたのですが予定が合わずに相談できない状況でした。
無理くり相談しようと思えばできましたが、これは自分で考えろってことだなと思い数日悩みました。
…よしやろう
考え抜いた末の決断でした。
この時相談しなかったことで逆に覚悟が決まりました。
準備も全然していない中大急ぎで物件の契約を済ませいろんなことを慌てながらスタートさせました。
いまでは最高な物件でスタートが切れたと思います。
そんなこんなで現在綱島で整体サロンを運営しています。
これまでの人生思い返すと結構大変なこともありました。
自分が大変だったときにちゃんとした整体に出会っていれば人生もう少し楽だったのかもしれない。
そのように思います。
ただ大変なことは自分だけではありません。
あなたもきっとなにか大変なことがあったり直面していたりすると思います。
整体と出会ったことにより人生が楽になったと思っていただけるような施術をご提供したいと強く思っております。
ここまでの長文を読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたとお会いできると嬉しいです。